Artist_Data: 02 指揮アーカイブ

02 指揮の最近のブログ記事

ガリー・ベルティーニ Gary BERTINI

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モルドヴァ共和国(旧ソ連)で生まれ、幼いころイスラエルに移住した。テル・アヴィヴで音楽教育を受けた後、ヴェルディ音楽院、パリのコンセルヴァトワール、エコール・ノルマル、ソルボンヌ大学で学ぶ。A.オネゲル、O.メシアン、N.ブーランジェ、J.シャイーに師事した。1958年、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してデビュー。その後、スコティッシュ・ナショナル管弦楽団の首席客演指揮者(71〜81年)、エルサレム交響楽団音楽監督(78〜86年)、デトロイト交響楽団ミュージック・アドヴァイザー(81〜83年)、ケルン放送交響楽団(83〜91年)、フランクフルト歌劇場総監督(87?90年)、テル・アヴィヴのイスラエル歌劇場芸術監督(94〜95年)を歴任し、95年よりパリ・オペラ座と密接な契約を結んだ。世界各地の一流オーケストラに客演を続け、ベルリン、ウィーン、ルツェルンなどの国際的な音楽祭にも招かれたほか、87〜92年の間音楽監督を務めたイスラエル音楽祭に、定期的に出演した。
古典から現代作品までレパートリーは幅広く、特にマーラーの解釈と演奏には定評があった。
日本にも客演を重ね、98年4月、東京都交響楽団第4代音楽監督に就任した。2000年4月からは、埼玉会館と横浜みなとみらいホールでの「マーラー・シリーズ2000〜2004」に取り組み、彫りの深い音楽が絶賛を博した。
2005年3月、テルアヴィヴで逝去。都響桂冠指揮者。

ジャン・フルネ Jean FOURNET

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1913年フランスのルーアンの生まれ。パリ・コンセルヴァトゥワールで指揮とフルートを学び、首席で卒業。44年フランス放送管弦楽団の常任指揮者、オペラ・コミックの初代音楽監督となり57年までつとめた。また45年?62年にはパリ・エコール・ノルマルで指揮法を教授した。61?78年オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者、68?73年オランダのロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督を兼任。現在はオランダ放送管の終身指揮者に就任している。各国の第一級のオーケストラをはじめシカゴ・リリックオペラ、メトロポリタン歌劇場などに客演を重ねた。
日本には58年にドビュッシー『ペレアスとメリザンド』の初演のために初来日。都響には78年に初客演し、83年?86年に定期招聘指揮者に就任、その後も定期的に客演を続け、89年12月に名誉指揮者の称号が贈られた。88年の都響ヨーロッパ演奏旅行、02年の北京公演に同行し、演奏旅行を成功に導いた。
都響とのCDは多く『ベルリオーズ 幻想交響曲』『ベートーヴェン <英雄>』『ブラームス 交響曲第3番他』『フォーレ レクイエム』などがあり、いずれも高い評価を得ている。
フランス音楽の正統を受け継ぐ最後の巨匠として、数々の名演をのこした。2005年1月には都響第600回定期記念演奏会で、ラヴェル『ダフニスとクロエ』第二組曲 他を指揮し絶賛を博す。引退公演となった2005年12月の都響定期演奏会では、文字通り絶後の演奏とともに、感涙に咽ぶ多くの聴衆に別れを告げた。その模様は「ジャン・フルネ ラストコンサート」(SACD+DVD)に記録されている。

小泉和裕 Kazuhiro KOIZUMI

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1969年東京芸術大学指揮科に入学、山田一雄氏に師事。1970年第2回民音指揮者コンクールに第1位入賞、その後、旧日本フィルハーモニー交響楽団に指揮研究員として入団。1972年7月、新日本フィルハーモニー交響楽団創立に際し、指揮者として参加。同年10月ベルリンのホッホシューレに入学し、ラーベンシュタイン教授にオペラ指揮法を師事。1973年夏、ボストンのタングルウッド音楽祭に参加し研鑽を積む。1973年11月、第3回カラヤン国際指揮者コンクールに第1位入賞。その後ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してベルリン・デビューを飾った。1975年1月?1979年12月まで新日本フィル音楽監督を務めた。1975年3月には、ベルリン・フィルの定期演奏会に出演し、好評を博した。その後、ウィーン、パリ、イタリア、西ドイツの各地をまわり期待に応えた。1976年1月には、フランス国立放送交響楽団を指揮し、ルービンシュタイン、ロストロポーヴィチとも協演。その後、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団、バイエルン放送交響楽団、フィルハーモニカ・フンガリカ、西ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団等、ヨーロッパ各地において精力的な指揮活動を行った。また、アメリカにおいても、1978年ラヴィニア音楽祭でシカゴ交響楽団を指揮し大成功を収め、早速1980年3月のシカゴ交響楽団定期公演に登場し、注目を集めた。その他、ボストン交響楽団、デトロイト交響楽団、シンシナティ交響楽団、トロント交響楽団、モントリオール交響楽団などにも客演。1983?1984年シーズンから1988?1989年シーズンまで、カナダのウィニペグ交響楽団の音楽監督、1986年?1989年まで東京都交響楽団の指揮者を務めた。ロンドンのロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団には1988年より定期的に招かれた。
1989年からは活動の中心を日本に移し、1989年4月?1996年3月まで九州交響楽団首席指揮者、1992年4月?1995年3月まで大阪センチュリー交響楽団首席客演指揮者、1995年4月?1998年3月まで東京都交響楽団首席指揮者を歴任。1998年4月より東京都交響楽団首席客演指揮者、2003年4月より大阪センチュリー交響楽団の首席指揮者を務める一方、各オーケストラに客演指揮者として招かれ、奇を衒わない深みのあるオーソドックな演奏が高く評価されている。また、2006年4月より仙台フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者に就任。

大植英次 Eiji OUE

oue.jpgphoto(C)Takashi Iijima [Discography]
広島生まれ。桐朋学園で斎藤秀雄に指揮法を師事。1978年アメリカに渡り、小澤征爾の招きでタングルウッド・ミュージック・センターに学び、同年ニューイングランド音楽院指揮科に入学。タングルウッドでレナード・バーンスタインに出会い、以後世界各地の公演に同行、助手を務めた。バッファロー・フィル準指揮者を経て、1990年?1995年までエリー・フィルの音楽監督、1995年〜2002年まで名門ミネソタ管の第9代音楽監督を務めた。
1998年からはハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニーの首席指揮者を務め、2000年よりハノーファー音楽大学の終身正教授も務めている。2003年より大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督に就任。2006年バルセロナ交響楽団の音楽監督に就任。
2005年、新演出の「トリスタンとイゾルデ」で日本人指揮者として初めてバイロイト音楽祭で指揮し、世界中の注目を集めた。また2006年4月には大阪城にて野外コンサートを行い約1万人の聴衆を動員、9月には「大阪クラシック」をプロデュース、1週間にわたって大阪御堂筋沿いの店舗やショールームなどで計50公演を行い、約2万2千人を動員し大成功を収めた。2006年度大阪芸術賞特別賞、斎藤秀雄メモリアル基金賞受賞。

飯守泰次郎 Taijiro IIMORI

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1962年、桐朋学園短期大学音楽科(指揮科)を卒業、在学中の61年に藤原歌劇団公演「修道女アンジェリカ」にてデビューを飾る。1966年ミトロプーロス国際指揮者コンクール、1969年には、カラヤン国際指揮者コンクールでともに第4位入賞を果たす。1972年には、芸術選奨新人賞(日本)とバルセロナのシーズン最高指揮者賞(スペイン)を受賞している。国内では1972年から'76年まで読売日本交響楽団指揮者、国外では1970年からバイロイト音楽祭の音楽助手として数々の歴史的公演に加わると同時に、ブレーメン、マンハイム、ハンブルク、レーゲンスブルクの各歌劇場に指揮者として籍をおいた。エンスヘデ市立歌劇団第一指揮者を経て、1979年から1995年までエンスヘデ市立音楽院オーケストラ指揮者(現在オーケストラ顧問)。
最近の活動は全国主要オーケストラとの定期演奏会および各種演奏会で共演を重ねており、情熱的な音楽創りでいずれも好評を得ている。ヨーロッパの歌劇場で積み上げてきたオペラに対する深い造詣、特にワーグナー作品を積極的に日本楽壇へ紹介してきた功績には特筆すべきものがある。1993年4月より1998年3月まで、名古屋フィルハーモニー交響楽団の常任指揮者を務め、在任中は第200回定期演奏会、ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」(抜粋・演奏会形式)、楽団創立30周年記念演奏会(名古屋・東京)などを次々に成功へと導き、話題を集めた。東京での30周年記念演奏会をライブ収録したCDは、1996年度文化庁芸術作品賞を受賞した。1997年9月から、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団常任指揮者に就任。2000年度ベーレンライター校訂新版によるベートーヴェンツィクルス、2001年度ハイドン・ブラームスシリーズ、2002年度メンデルスゾーン・ブルックナーシリーズ、そして2000年度から開始された、オーケストラ演奏を主体とした新しいアプローチによるワーグナー:楽劇「ニーベルングの指輪」ツィクルスと次々に意欲的な企画を打ち出し、注目を集めている。2001年1月より、関西フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者を兼任。関西若手演奏家の積極的登用を始め、ローカリズムを打ち出した活動を根幹にした新たな活動にも期待を集めている。
第32回(2000年度)サントリー音楽賞、第54回(2003年度)芸術選奨文部科学大臣賞受賞。さらに、2004年11月には紫綬褒章を授章。

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