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細川俊夫 Toshio HOSOKAWA

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1955年、広島に生まれる。1976年から10年間ドイツ留学。ベルリン芸術大学でユン・イサンに、フライブルク音楽大学でクラウス・フーバーに作曲を師事。1980年、ダルムシュタット国際現代音楽夏期講習に初めて参加、作品を発表する。以降、ヨーロッパと日本を中心に、作曲活動を展開している。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団創立100周年記念作曲コンクール第1位 (1982)、中島健蔵賞 (1988)、ラインガウ音楽賞 (1998)、デュイスブルク音楽賞 (1998)、ARD-BMW ムジカ・ヴィヴァ賞 (2001) を受賞するなど、国際的に高い評価を得ている。2001年、ドイツ・ベルリンの芸術アカデミー会員に選ばれる。2006年から2007年にかけてベルリン高等研究所からフェロー(特別研究員)として招待を受けている。ダルムシュタット国際現代音楽夏期講習における講師 (1990?) やルツェルン国際音楽祭(2000) 、ムジカ・ノヴァ・ヘルシンキ (2003) のテーマ作曲家をはじめ、ヨーロッパの重要な現代音楽祭のほとんどから招待作曲家あるいは講師として招かれ、作品が演奏されている。1998年ミュンヘン・ビエンナーレの委嘱により、初めてのオペラ『リアの物語』(鈴木忠志の台本・演出) を初演、「東洋と西洋の出会いから新しい音楽世界を切り開いた作品」と絶賛された。2004年エクサンプロヴァンス音楽祭の委嘱により、2作目のオペラ『班女』がフランスで世界初演、ブリュッセルのモネ劇場で再演、成功を収める。2005年8月、ザルツブルク音楽祭において、同音楽祭委嘱のオーケストラ作品がヴァレリー・ゲルギエフ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によって世界初演された。
1998年より東京交響楽団のコンポーザー・イン・レジデンス。2001年より武生国際音楽祭音楽監督。2004年より東京音楽大学客員教授。

林光 Hikaru HAYASHI

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1931年東京生まれ。東京芸術大学中退。作曲を尾高尚忠と池内友次郎に師事。 53年「交響曲 ト調」で芸術祭賞受賞。同年、間宮芳生、外山雄三らと「山羊の会」を結成。 56年「オーケストラのための変奏曲」で尾高賞受賞。合唱曲「原爆小景」をはじめ、社会的メッセージをもった作品を書き続け、日本の音楽創作の分野で極めてユニークな位置を占めている。日本語と音楽の自然な結びつきを探求し、多数の声楽曲、舞台作品を作曲している。著書に「私の日本音楽史」「日本オペラの夢」などがある。

早坂文雄 Fumio HAYASAKA

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1914年仙台に生まれる。4歳で札幌に移住する。15歳より独学で作曲を始め、後に伊福部 昭と知り合う。19歳よりクリーニング店に就職。ご用聞き先の家庭にピアノがあると上がり込んで弾かせてもらうため、まもなく解雇される。清瀬保二と文通を始め、また三浦淳史と知り合う。 34年 伊福部、三浦と「新音楽連盟」を結成。ストラヴィンスキー、サティ、カセッラの作品を演奏して、新音楽を紹介する。36年「二つの讃歌への前奏曲」が日本放送協会懸賞募集曲に入選。37年「古代の舞曲」を完成。翌年ワインガルトナー賞を受賞。39年 東宝撮影所に入社。以後、多数の映画のための音楽を作曲する。41年「左方の舞と右方の舞」を完成。翌年初演される。46年 清瀬保二、松平頼則らと「新作曲派協会」を結成。50年「野良犬」で毎日映画音楽賞を受賞。同年、「細雪」(阿部豊監督)「醜聞」「羅生門」(黒澤明監督)など1年間に13作品をてがける。53年「管弦楽のための変容」完成。54年「七人の侍」(黒澤明監督)のための音楽。55年 交響的組曲「ユーカラ」初演。同年10月逝去。41歳だった。1930年代以降、日本の作曲界の最先端に立ち、汎東洋主義の音楽を志向し戦後の若い世代の作曲家に大きな影響を与えた。

西村 朗 Akira NISHIMURA

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1953年、大阪市に生まれる。 1973?80年、東京芸術大学及び同大学院に学ぶ。 西洋の現代作曲技法を学ぶ一方で、在学中よりアジアの伝統音楽、宗教、美学、 宇宙観等に強い関心を抱き、そこから導いたヘテロフォニーなどのコンセプトに より、今日まで多数の作品を発表している。 1993?94年、オーケストラ・アンサンブル金沢のコンポーザー・イン・レジデンス。 1994?97年、東京交響楽団のコンポーザー・イン・レジデンス。 近年、海外においては、ウルティマ現代音楽祭(オスロ)、「ノルマンディの1 0月」音楽祭(ルーアン)、アルディッティ弦楽四重奏団、クロノス・カルテッ ト、ELISION、ハノーヴァー現代音楽協会等から新作の委嘱を受け、ウィーン・モデルン音楽祭、「ワルシャワの秋」現代音楽祭、MUSICA・ストラスブール音楽祭、ブリスベイン音楽祭等において作品が演奏されている。 現在、東京音楽大学教授、(社)日本作曲家協議会理事。

武満 徹 Toru TAKEMITSU

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1930年 東京生まれ。 48年京華高校卒業。清瀬保二に作曲を学ぶが、おもに独学。 50年新作曲派協会第7回作品発表会で、ピアノのための「2つのレント」が初演される。「音楽以前である」と山根銀二により評された。51年音楽家、画家、詩人十数名とともに総合的な芸術活動をめさずグループを結成、瀧口修造により、<実験工房>と命名される。 57年「弦楽のためのレクイエム」が初演される。2年後に来日したストラヴィンスキーがこの作品を聞き激賞する。 63年「環礁」がISCMの国際現代作曲家会議で第5位。65年「テクスチュアズ」がISCMの国際現代作曲家会議最優秀作品賞受賞。67年ニューヨーク・フィル創立125周年記念委嘱作品「ノヴェンバー・ステップス」がニューヨークで初演される。70年 大阪万博の鉄鋼館スペース・シアターのための音楽をプロデュース。72年クセナキス、ジョラス、フルーレとともにジャワ、バリへ旅行し、「フォー・アウェイ」が生まれる。 76年「カトレーン」が尾高賞を受賞。80年日本芸術院賞受賞。84年 アメリカ芸術文学アカデミー・インスティテュート名誉会員。86年サントリーホール国際作曲委嘱シリーズ監修者に就任、第1回として"武満徹"が開催され「ジェモー」が初演される。 91年シカゴ交響楽団創立100周年記念委嘱作品「ヴィジョンズ」等一連の作品により、毎日芸術賞、都民文化栄誉賞を受賞。同年、サントリー音楽賞を受賞。 93年 初のハリウッド映画「ライジング・サン」のための音楽を作曲。95年 東京オペラシティ芸術監督に就任。 96年オーレル・ニコレの70歳を祝して作曲した「エア」が最後の作品となる。没後10年の2006年には、60?80年代の武満の変遷を捉えたオーケストラ作品3題収録の「ARC」が発売された。

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